【本記事を読むと・・・】
・最近話題の「古文漢文不要論」に対する賛成反対意見が丸分かり!
・日本の古文に相当する「ニュージーランドのマオリ語」と「ヨーロッパ諸国でのラテン語」の体験者が語るから、斬新な知見が手に入る!
最近、何かと話題の「古文漢文不要論」。
今回の対談では、ニュージーランド留学で現地の古文にあたる「マオリ語」に触れたShunと、ヨーロッパ諸国の古文にあたる「ラテン語」を大学でかじった仁大ばなしが国際的な視点から日本の古文問題を斬る。代替となる新科目のアイデアも必見!
(文=仁大ばなし)
いらない派:古文漢文は教養の要素が強すぎる
現役大学生である我々は、古文漢文を中高と習ってきた世代です。
そこで聞きたいんですが、Shun君は古文漢文を義務教育で教えることについて、どう考えていますか?
正直、古文漢文は義務教育には必要ないと思ってます。
それはなぜですか?
ありきたりではあるんですが「教養の要素が強すぎる」と思うんですよね。
古文漢文は、グローバルに役立つ英語だったり、実用的な算数・数学と同類にはできないでしょう。 あくまで教養の一部であって、強制的に学ぶものではないと考えてます。
僕も同意見です。
古文漢文を学ぶことに意味はあるでしょうが、一科目として独立させるほどの価値はないと思っています。
やるとしても、中学・高校の現代文で源氏物語の一パートを学ぶくらいで十分でしょう。
そうですね。
やはり、科目として立ててしまうと、どうしてもカリキュラムを占領しすぎてしまいますからね。
いらない派:古典を参照する必要はなくなる!なんなら言語を学ぶ必要も・・・?
Twitterでよく見る古文漢文必要派の意見に「歴史的な文献を参照しなければならない職業もあるから」というものがあります。
なるほど。
ただ、これに関して僕が思うのは、現代においてわざわざ自分で古文を読み解ける必要はないだろうということです。
それに仮に古文を読めるほどのスキルがあったとして、それをブラッシュアップし続けるのはあまりに困難だと思います。
言語は使わないと錆びちゃいますからね。
そうなんです。
それに僕は機械翻訳の技術が発達すれば、古文に限らずどんな言語も学ぶ必要がなくなると思っています。
過激派ですね。
100%の精度で訳せる“ほんやくこんにゃく”みたいのが出てきたらってことですか?
いずれは、機械翻訳機があれば誰とでも話せてしまう時代が来るのです。
こうなれば外国語の授業を義務教育に設置する理由はないですし、ましてや古文なんて尚更です。
なるほど。
機械を使えば一瞬で、言語の壁なく意思疎通ができてしまうから、英語・フランス語のように独立した言語を体系立てて学ぶ必要はなくなるってことですね。
その通りです。
そして、この未来はそう遠くない気がしています。
そんな感じしますね。
僕はYouTubeに自分で制作した楽曲などをアップしていますが、今作曲って全部パソコンでできちゃうんですよね。
この影響もあって、楽器を演奏するという行為の趣味性は年々高まっています。おそらく、言語もこうした道を辿るのでしょう。
いらない派:ニュージーランドの古文「マオリ語」は選択科目だった!
僕はニュージーランド🇳🇿に留学していたんですが、その経験からも日本の義務教育で古文漢文を教える必要はないと思っています。
どういうことですか?
ニュージーランドには、日本の古文にあたる「マオリ語」というのがあります。
そして、なんとそのマオリ語は必修ではなく、選択科目なんです。
日本の先を行ってますね。
しかも、マオリ語が必修じゃないからといって、国民のマオリ文化への関心が薄くなるなんてことも起きてません。
そもそも「ハカ」などのおかげで、ニュージーランドの多くの国民は、マオリ文化に親しみを持っているのです。
これは、「日本の伝統文化継承のために古文を学ぶ必要がある」という主張への効果的な反駁になりそうですね。
日本の場合、古文が科目として存在しているせいで「受験戦争の一道具」と化してしまっていると言えます。
つまり、現状では文化のために学ぶというより、いかに正確に読み解いて得点に繋げるかが重要になってしまっているのです。これでは伝統への能動的な姿勢を生徒から奪ってしまうでしょう。
確かに、文化や伝統って点数で測るものではないですからね。
そうなんです。
教えるなら、もっとゆるやかな雰囲気で先生が平安時代の仮装をしたりなんかして、「いとおかし。いとおかし。」みたいにじゃれあってる方が生徒たちは親しみが持てるのではないでしょうか。
いる派:古文を学ぶことは日本を知り、己を知ることである
僕たちが二人とも古文いらない派なので、記事が少し傾きはじめてますね・・・
もし、古文漢文を義務教育に残すべきと主張するなら、どうしますか?
桐原書店から出ている『探究国語総合 | 古典編』に「古文を学ぶ意味」が記載されており、個人的にそれが非常に核心をついていると思いました。
内容は以下のような感じです。
・古文は無意識のうちに我々日本人の心身を形作っている。
・古文は、日本の伝統文化や日本語がどのようにして出来たかを雄弁に物語ってくれる。
・それを知ることは間接的に我々のアイデンティティを認識することにも繋がる。
ザ・王道ですね。
やはり「日本それ自体とそこに住む日本人アイデンティティ」を学べるというのが、多くの古文賛成意見の本質ですよね。
ですね。
やっぱり日本ほど歴史が深い国はないですからね。
そして、それは国際的な魅力であり、インバウンドの観点からしても、日本の訴求ポイントなんです。
それなのに、国民がその素晴らしさを理解していなければ政府としては動きようがなくなってしまいますからね。こうした惨事は避けねばなりません。
いる派:英語圏のラテン語のように、古文は日本語を見直すツールである
国際的な視点からも言っておくと、欧米諸国では古文たる「ラテン語」を義務教育の段階においても学ぶことがあるんです。
あ〜確かにそうですね。
ラテン語を学ぶと色々なメリットを享受できるんです。
・文法を一からやるので、回り回って英語への理解が深まる。
・欧米を形作った神話や芸術、社会制度などはラテン語文化の影響を色濃く受けており、その勉強になる。
・リベラルアーツの一柱たるラテン語は、多視点を得ることそのもの。
結構重要そう・・・
やはり、歴史を年号暗記のみで学習するのではなく、昔の人々が使っていた言語を直にインストールし、触れることで理解しようとするのは、かなり効果的でしょうね。
実は、僕も去年にラテン語を大学の講義として取っていたんです。
そういえば、そうでしたね!
やっぱり単語も文法も知らない言語を一から学ぶということを、久しぶりにやってみて感じたのは「言語ってムズイ!」ってことです。 しかし、収穫もありました。
それはなんですか?
英語を俯瞰的に見れるようになったことです。 日本語と英語はあまりリンクがないんですが、英語とラテン語はバリバリにあります。
それまでは「英語」は「英語」としか認識できなかったけれど、ラテン語という第二の視点を得られたのは英語学習においても有意義だったと思います。
その関係は「古文」と「現代日本語」についても同様のことが言えそうですね。
もし古文漢文が消えたら、どんな新科目を設置すべき?
何とか擁護してみましたが、やっぱり厳しそうです。 もし、古文漢文が義務教育から消えたなら、どんな授業を開講すべきでしょうか。
たくさん案があるので、最初に全部言っちゃいますね。
◉ Shunの新科目構想
・作詞, 作曲
・宗教, 哲学
・プレゼン等の話し方の講座
・お金の勉強
・国ごとの歴史や地理
・第二第三言語
・大学(院)とのコラボ
・職業講座
・季節ごとのスポーツ
・心理カウンセリング
こんな感じです。
おお・・・
ただ宗教だったりお金だったりは、学ぶべきですよね。
重要です。
季節のスポーツってのは、夏はサーフィン、冬はスキーみたいな?
まさにそれです。 僕はこれをニュージーランド時代に経験しました。
最後のカウンセリングってのは?
カウンセラーの方をお呼びして、その方法論を学ぶって感じです。
今の時代には必要かもしれません。
仁大さんの案も教えてください。
◉ 仁大ばなしの新科目構想
・デリバティブ投資に関する授業
・ネットリテラシー
・自分の趣味や好きなもののプレゼン大会
・会議の方法論
多少被ってますが、こんな感じです。
投資に関してはどのように教えるんですか?
投機的な側面ではなく、社会を回す仕組みとしてその内容を学ぼうということです。これは怪しい情報商材に引っかからないためにも必要だと思います。
なるほど。じゃあプレゼン大会というのは?
その授業は、子供たちの好奇心を感化させるという目的があります。他人の「好き」だったり、その熱量に触れれば、好奇心が健全な形で醸成されると考えてます。
それ、オモロイ。
まとめ:教養はメインディッシュにあらず
今回の「巨岩を斬る」では、巷を賑わす「古文漢文不要論」を取り上げました。
総括としては、見出しにあるように「教養はメインディッシュにあらず」ということです。
この世界には、数多の面白いこと、エンタメが溢れています。
そして、その全てに共通するのは、「命」が無ければ楽しめないということです。
残念ながら、現代の技術では幽霊さんたち向けのエンタメは作れません。
古文漢文を選択科目にしようという議論をすると、「教養だから無くしてはならない」と主張する人がいます。
これは、教養WebメディアであるWILLY NILLYだからこそ言わせてほしいのですが
「教養は人生のスパイスである。主役ではない。」
ということです。
教養とは、無いよりは、有ったほうがいいよね程度のものなのです。
命よりも大切な教養なんてものはありません。
どうかその部分をお履き違えのなきよう。
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※本記事では、田中井大歩氏が撮影した写真を許諾を得て使用しています。
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